プリスリーズ賞
特別功労賞 岸洋子
1943年 山形県酒田市 生まれ
1958年 東京芸術大学声楽科・専攻科卒業
1960年 第1回リサイタル開催。
1961年 キングレコード専属となる。
1962年 レコード「たわむれないで」発売。
1964年 「夜明けのうた」でレコード大賞歌唱賞を受賞。
1965年 第1回目の渡仏。持ち帰ったエンリコ・マシアスの「恋心」が大ヒット。 以後「想い出のソレンツァーラ」「わかっているの」等、マシアスのヒット曲を多数歌う。
1968年 第18回サンレモ音楽祭(イタリア)に出場。「今宵あなたが聞く歌は」で入賞。
1969年 「岸洋子リサイタル」(東京厚生年金会館)における歌唱に対して、同年度の芸術祭優秀賞を受賞。
1970年 「希望」大ヒット。レコード大賞歌唱賞を受賞。
秋、病に倒れる。
1971年 4月にカムバック。岸音楽事務所設立。
以後、日生劇場、NHKホール、札幌厚生年金会館、大阪フェスティバルホール等、また鑑賞団体―労音、民音等、全国各地でコンサート活動を開始する。
1979年 歌手生活20周年を迎える。
「岸洋子リサイタル‘79-歌20年」(新宿文化センター)和田誠氏構成、渡壁輝氏演出で開催。
1983年 書下ろし自叙伝「さくらんぼの楽譜」を報知新聞社より出版。
1985年 歌手生活25周年を迎える。
「岸洋子リサイタル~人生はいいもの~」(NHKホール)村田大氏構成・演出で開催。このリサイタルにおける歌唱に対し、芸術祭優秀賞を受賞。
1988年 酒田市民特別功労賞を受ける。
1989年 歌手生活30周年を迎える。
「岸洋子リサイタル‘89歌―30年」(ゆうぽうとホール)和田誠氏構成・演出で開催。記念コンサートツアー開催。
1990年 病気療養のため、1年間休養。
1991年 カムバックコンサート「岸洋子リサイタル‘91」(東京厚生年金会館)を和田誠氏構成・演出で開催。
1992年 12月11日永眠。享年58歳。
特別功労賞 矢田部道一
ムッシュ矢田部こと矢田部道一
ロサンゼルスで生まれ、山口県で育つ。
明治大学法学部在学中からシャンソンの作詞を手がけ、以来数々のヒット曲を送り出す。
1973年より、このシャンソニエ「シャンパーニュ」を経営する。
1975年より毎年「矢田部道一シャンソン作詞リサイタル」を開催し、65回を数える。
主だったシャンソン歌手の殆どがこれに出演している。
作詞曲はシャンソンのみならずカンツォーネ、ラテン、ポップスなども含め数千曲に及ぶ。
2008年5月25日永眠。
代表作詞曲
再会、逢い引き、貴婦人、王様の牢屋、生きる、愛の砂漠、脱走兵、北の故郷、子供の頃、待って、歌い続けて、雨のブリュッセル、まるでお芝居のように、アムステルダム、愛は貴方のように、マダムなど多数。
特別功労賞 永田文夫
1927年大阪市生まれ。
1954年、約70名の愛好者を結集して京都シャンソン友の会を設立し、毎月レコード・コンサートを主催。
1957年、有限会社「シャンソン社」を設立し、代表取締役として月刊誌「シャンソン」を創刊、全国の書店で販売。
1960年、シャンソン・ラテンの訳詩を始め、以後約1300曲を訳し、300曲がレコード化。
1965年、岸洋子が歌った「恋心」のレコードが年間最高のベスト・セラーを記録。
1968年、FM実験放送の段階から以降20年にわたって音楽番組のDJを担当する他、多数のシャンソン関係の番組を構成。
1983年から毎年数回シャンソン主体のコンサートをプロデュース、現在31年目。
1985年から1997年まで文化庁芸術祭審査委員、芸術選奨選考委員を歴任。
1997年、厚生年金会館大ホールで「永田文夫音楽生活45年記念コンサート」開催。
現在 日本訳詩家協会会長 日本音楽著作家団体協議会委員 日本音楽著作権協会正会員 季刊「シャンソンマガジン」編集長